Roscellinus Compendiensis -7ページ目

マルティン・ハイデッガー『存在と時間 下』

存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

¥1,296
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 「存在と時間」のなか(上下巻)では、むしろこちらを徹底して読むべきだと思います。それだけ中身が濃い。

 確かに「良心」、「不安」、「覚悟性」、「負い目」の定義づけでは、シェーラーやヤスパースを参考にしたり、かなり際どい記述で論理的飛躍を感じますが、しっかりカントまで遡行して、軽々しく断罪しないというのはハイデガーの戦略通りかもしれません。それにしてもこの辺りの構成はハイデガーをしても苦しかったのではないでしょうか?

 「歴史性」とか「時間性」というテーマは、とてもスムーズにクリアされていると思います。重箱の隅をつつけば論理の飛躍を指摘できなくはないですが、マイナスよりもプラスの方が勝っているでしょう。

 今回久しぶりに「存在と時間」を読んで、プロットそのものの評価は昔から最上級だったのですが、ハイデガーの「~の欠如態」という戦略にはお手上げでした。

 本書については、色々なアプローチの方法があるので敢えて解説のようなことは控えます。興味のある方は本書に挑戦してみてください。

寺山修司『詩集』

寺山修司詩集 (ハルキ文庫)/角川春樹事務所

¥734
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 私には絵心と詩心がないので評価のしようがありません。

 詩というものはじっくり読み込んで意味を想像してゆくものだと思いますが、私には読みようもないので本来パスしたいとこですが、一応最後まで読んでみました。

 読んだのは良いのですが、特に何かを発見できたとか、驚愕したということはありません。

 演劇やミュージカルもそうですが、何がいいのでしょうか?私にはさっぱりわかりません。

マルティン・ハイデッガー『存在と時間 上』

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

¥1,296
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 20世紀の知を代表する名著の上巻です。

 元々は理想社から出版されていたものを文庫化したものです。上下巻とも分厚いですし、内容も濃いので途中で挫折する人続出でしょうが、分からなくて当然。読み進めましょう。本書を読むコツはともかく前に進むということです。そうすることでムードが掴めると思います。

 詳細な内容は過去にも記事にしたので割愛しますが、本書の構成は「ナトルプ報告」や木田さんの「ハイデガーの思想」、ジョージ・スタイナーの「ハイデガー」を参照してください。それで十分に本書の位置づけが分かると思います。

 私自身は本書はもう嫌というほど読んでいるので、目新しい発見はないのですが、基本的には本書は書くためにあるものではないと思います。つまり、自己完結しているということです。ハイデガーの議論の進め方は、ひたすら世界内存在に人間の諸様態を定義するというものです。

 例えば、客体という無味乾燥な概念に対して、ハイデガーのスタンスから言えば抹消せねばならないのですが、それも世界内存在として了解されていることで、ある様態の欠如態だという具合に説明されます。本書ではこの戦略が大きな効果を生んでいると思います。

 上述した通り、初学者が本書に取り組まれる場合は、細かい定義づけと新しい言葉(概念)に振り回されることなく、世界内存在の戦略上の意図を頭に入れて読まれることが良いと思います。

別の人生

 最近とかく別の人生もあったなと思います。

 この「別の人生」を考え出すときは、常に心の弱さからきています。

 学部選び、進路選びと考えたらどこまでも尽きないのですが、もう過去となっては取り返しがつきません。

 恋愛でも同じです。あのときこうしてれば今頃…なんてことは、ふとした瞬間考えてしまいます。

 そういうマイナスのメモワール(回想)は、よくありません。それは後退したメモワールです。そうではなくて、前進できるメモワールでなければ人間成長しません。

 現在大作を読書しているので、今日はここまで。

 

将来を知る

 誰もが知りたい将来。しかし、そんな簡単に将来の像は見えません。

 将来とは現在からみて未来のこと。過去とは現在からみて過去のこと。

 これだけで十分過ぎる命題ですが、現在の自分を知るというのは大変なことです。色々価値尺度は想像できますが、ほとんどの人が自分のありのままの姿を見ることを敬遠するでしょう。と、同時に未来も過去も見なくなるのです。

 ですから、世間という日常の何の不都合のない世界にほとんどの人は頽落しているのでしょう。これは何か悪いことを言っているように思えますが、ごく普通のことです。ほとんどの人が自覚的に自分の現在を見ているわけがありません。私もそのひとりです。
 
 覚悟さえ決まれば過去、現在、未来の像など怖くもないものですが、いざ覚悟を決めて自分で自分を評価するとなれば気が引けるはずです。それでも人間は世界に投げ出されてるのですから、覚悟の未済の連続は許されません。いつかは決済しないといけないものです。

 先ほど大多数の人が都合の良い日常に頽落しているのだと言いましたが、これはモラトリアムであっていつかは自分自身で自分の未来を決済しなければなりません。

 当然、決済のタイミングというのは誰しもあるもので、恋愛、結婚、離婚、再婚等々未済で済ませたことが一気に決済を要求される瞬間が起こり得ます。

 私自身は何度も決済をしてきましたが、まだまだ未済の部分が残っており自覚的に取り組んでいます。

 スタンスとしては少々ペシミストの方が自覚的になりやすいです。世間はほとんどがペシミストなのですから。

哲学は不幸を生む

 基本的に哲学は不幸を生むと思われます。

 日常生活にどうでもいいことが頭に浮かんで、考えることを欲求し、日常生活は破綻してゆきます。私も体験したことですが、ともかく余計なことを考え出し、日常生活がままならないようになってきます。

 資産のある方は、余計なことを追及してゆけばいいのですが、ほとんどの人はそういうわけにはいきません。食べること、住むことに必死なわけですから、どこかで折り合いをつけないといけません。

 結果、日常生活は破綻します。哲学なるものは本当に厄介なものです。学部入学直後に言われたことですが「哲学は不幸になるよ」というのは、ほぼ間違いなく真実です。

 哲学などそもそも日常生活に寄与することは皆無なのですから邪魔なだけです。

 しかし、それでも敢えて厄介物に向き合い、厄介者になる覚悟を決めたのなら、その道を進むしかないと思います。それで結果的に不幸を背負うことになっても、私は笑いません。

 死を前にして、死へ臨んで、それでも生きようとする意志は何よりも強い。

 死と哲学を追求するというのは同語反復です。

 そういう人を評価する柔軟性のある社会には日本はまだ程遠いですが、哲学に限らず考える営みを大事にしている人は少なくはないと思います。そういう人たちへの援護プログラムはこの先必ず必要になってくるでしょう。

マルティン・ハイデッガー『「ヒューマニズム」について』

「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

¥1,296
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 後期ハイデガーをまとまって理解できる一冊。

 存在論の道標になる作品ですが、私は『存在と時間』との関係について集中的に読みました。

 過去に学位論文で本書を取り上げたことがあるのですが、訳者である渡邊さんの執念の日本語訳となっています。本書の半分以上が注釈の説明。それだけで凄いことですが、原文のハイデガーの言葉も後期ハイデガーにしてはすっきりしています。

 先ほども述べたのですが、『存在と時間』と本書でのハイデガーの立場を検討しましたが、ハイデガー本人が述べているように『存在と時間』の立場は捨てられてないと思います。根拠は色々あるので実際に本書を読んで検討して頂きたいです。

 『存在と時間』との関係性以外では、ハイデガーが無神論的なのか、有神論的なのかの独白が面白いです。結論的にはハイデガーはどちらでもなく、ただ存在の明るみに立つのだと執拗に繰り返して反論します。

 渡邊さんの非常に丁寧かつドラスティックな翻訳と注釈に感謝しながら、本書を閉じました。

 ハイデガーを学ぶ人は、必ず目を通さなければいけないですし、「Kehre=転回(立場の変更)」問題を考えるには最適な作品です。

山内志朗『普遍論争 近代の源流としての』

普遍論争 近代の源流としての/平凡社

¥2,052
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 著者のスタイルが貫かれた作品。
 
 中世の「普遍論争」を論理学の立場から見直そうという意図の下に書かれています。おそらく最初から著者の言葉や、展開される議論を理解できる人はいないでしょう。あくまで本書は論理学を中心に据えた「普遍論争」の新しい解釈です。論理学の基本を知らないと挫折ということになってしまいます。

 しかし、根気強く読み進めていくと主役であるオッカム、ドゥンス・スコトゥスなんかの解説になり、いく分理解できるようなムードにはなります。

 何より本書は著者の戦略下にあるので、著者の意図を理解するのが難しいです。その分、素人が読もうが、論理学のエキスパートが読もうが大差はないと思います。通説から逸脱することで、程度の差こそあれ混乱させられますが、最後のページまで読んで何となくムードを掴んで、通説の翻訳書や原書、あるいは用語集などで確認作業をすれば問題ないと思いますし、確認作業をすることで改めて著者の意図が掴めると思います。

 問題点があるとするなら、実在論と唯名論の中間の定義(著者は概念論と呼ぶ)が明確とは言えないことと、形而上学的見地が一切ないということです。この点は混乱の温床となるので読者が補完して解決するしかありません。

 著者の意図もありライプニッツの議論も多少出てきますが、あまり神経質にならずに流した方が好ましいと思います。

 問題は著者が中世哲学を次のように表明することです。

 「また、中世哲学は、アリストテレスなどの著作について重箱の隅をつつくような著述を重ねていった哲学でもなく、近世哲学とは別個のエピステーメーを形成しながらも、多くの点で現代につながるような論点をもった思想体系だった、と思えるのです」①

 エピステーメーという語はおそらくフーコーからの借物でしょうが、だとすればその時代の知識はその時代においてしか理解できない。デリダがフーコーを批判するように、過去のエピステーメーを見ている自分自身は現代の今のエピステーメー(イデオロギー)によって位置づけられるからです。だから、著者の言うように中世哲学が最善のものであるなら、それは過ぎ去った過去の一区分において妥当なのであり、それを現代に照射するのは論理的整合性が取れません。言葉は悪いですが、それは些か思い上がりかと思われます。

 結論的には、本書を読んで「普遍論争」が理解できるとは考えません。ひとつの重要なツールにはなりますが、本書は「普遍論争」を完全に解き明かしてはくれませんし、人によってはむしろ混乱するかもしれません。それでも貪欲に「普遍論争」の論理学というベーシックな知識を得たい人には好材料だと思います。同時にソシュールの言語学の理解のツールにもなるかもしれません。

 ①山内志朗著、2014、『普遍論争 近代の源流としての』、p252 4l、平凡社

『コントレックス』

ポッカサッポロ Contrex (コントレックス) 1.5L×12本/ポッカサッポロ フード&ビバレッジ

¥4,212
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 私が一番好きなミネラルウォーター。

 鉱水なので好き嫌いがあると思うのですが、口当たりはまろやかです。便通にも良いかもしれませんが、この辺は個人差あるので何とも。

木田元『現象学』

現象学 (岩波新書 青版 C-11)/岩波書店

¥778
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 フッサールに始まる現象学を継承者を通して考察する解説書。

 著者にも明白に書けない部分(未消化)があり、それが災いして結論がやや乱暴になっている感があります。

 初学者でも一応読めると思いますが、本書だけでは現象学がどういう学問(態度)なのかを知るのは大変だと思います。

 さらに、フッサールから離れてサルトルやポンティに記述が遷移するのは、理解しにくい記述をより理解しにくくしていると思います。

 初学者向けというよりは、現象学のカテゴリーにいる哲学者を一通り目にしてきた人向けだと思います。