ドゥルーズ『差異と反復 上下合本版』 | Roscellinus Compendiensis

ドゥルーズ『差異と反復 上下合本版』

 

 

 ドゥルーズによる西洋哲学史の解体新書。非常に難しいです。

 

 翻訳の問題もありますが、仏語版、英語版、日本語版と読んだ中で邦訳が一番難解でした。ターゲットになるのは一通り哲学史を理解して、そろそろ反哲学史でも考えようかという人です。初学者が読むと何が何やら見当もつかず、ただ混乱するだけに終わると思います。

 

 本書でドゥルーズが言いたいことは、「同一性」を真理、あるいは「同一性」を求める社会や歴史は嘘で塗り固められたものであって、本来世界は「差異」によってズレが生じる世界だということです。

 

 誤解を恐れず簡単に説明しますが、ある同じ行動を反復するにしても、その都度状況が異なり結果にもズレ、「差異」が生じます。これをプラトン以降、西洋の歴史は隠蔽してきたというのです。

 

 プラトン以降の「反復」とは、「同一性」の反復。すなわち、オリジナルを何度もオリジナル通りに「反復」することが正しく、そしてそれが「同一性」の原理だということです。ドゥルーズはそうではなく、オリジナルと複製の間に生じるズレを肯定します。複製と言いましたが、これはオリジナルの「反復」のことです。「同一性」にではなく「差異=ズレ」に事実的価値を認めるのです。

 

 例えば、ドゥルーズにとって資本主義とは「同一性」の原理そのものなのです。人は労働者として、会社員として生きることを目的とし、産み出される商品は予定されている何某として名付けられ、売られる。そして、予定されているように資本家のもとにマネーが留保され、他方で社員に定められた通りの給与が渡される。この流れが「反復」されることが正しく、一連の流れにズレが生じることは許されないのです。これをドゥルーズはプラトン以降の「同一性」の原理だと批判し、むしろ同じことを反復して「差異」が生じるという事実の復権を告げます。人という多様な生き方をできる存在者を会社員や労働者に還元して、同一な者とするのは隠蔽に過ぎなく、「=」の関係は成立しないというのがドゥルーズの主張です(後に資本主義が本当はズレによって成立している分裂病だということを暴く)。

 

 この辺は読者がドゥルーズを乗り越えて創造的理解をするべきだと思いますし、ドゥルーズの主張するように積極的に読むことの「ズレ」を受け入れるべきでしょう。