システム | Roscellinus Compendiensis

システム

 以前に救急車で搬送され入院した記事を書きました。そこで「制度的死」について言及しています。

今の私 | Roscellinus Compendiensis (ameblo.jp)

 

 この制度というものは死に限らずあらゆるシーンで顔を覗かします。物を買うとき、電車バスに乗るとき、電気を使うとき等々、全てこれらは社会の側で取り決められた制度です。ですから、人間は生きるには制度から逃れることはできません。

 

 ハイデガーはこのような様態を「被投的投企」という言葉で説明していますが、まさに人間は世界に投げ出されているのです。そして、この世界とは高度に制度同士が織り込まれた社会だということです。

 

 しかし。このような制度が人間の人生に圧倒的に機能するなら、人間は生き方を間違うこともありませんし、後悔をすることもありません。ハイデガーのいう「被投的投企」とは、最後の「投企」が示すように制度の連関に没入している主体が自覚的になり、己の在り方を制度の側に投げ返すという意味が込められています。これを制度への抗いと読むかどうかはハイデガーは語りませんが、間違いなく制度に投げ出されているという状況から、制度へ向き合うという意味に読み取れます。

マルティン・ハイデッガー『存在と時間 上』 | Roscellinus Compendiensis (ameblo.jp)

マルティン・ハイデッガー『存在と時間 下』 | Roscellinus Compendiensis (ameblo.jp)

思い上がり | Roscellinus Compendiensis (ameblo.jp)

 

 逆説的にいうならば、制度から自覚的に主体の在り方を人間は引き受けられるので間違いもすれば、成功もするのです。後悔は制度のしがらみから主体を取り戻したという証です。

 

 問題は自覚的になっても制度の連関に生きるということです。これは否定できませんし、ハイデガーも「投げ出されつつ投げ返す」という表現に終始し、ある種の制度からの解脱を推奨はしません。

 

 20世紀初めでさえ制度の連関から抜け出すことが困難であったのに、現代のような高度に制度化された社会で人は自覚的になれるでしょうか?私は少々このことに悲観的なのですが、突破口はあると信じています。