ニーチェを好きになれない人 | Roscellinus Compendiensis

ニーチェを好きになれない人

 ニーチェは苦手という人は、ニーチェは素晴らしいという人より多いかもしれません。これは当然のことで、アフォリズムという文体で、徹底的にあらゆる尊いと思われてるものへ言葉攻めにする部分に嫌気がするのでしょう。私は少し前に述べたようにニーチェをフレッシュな哲学者と認めていたので読むことに苦労はしませんでした。

 ニーチェの作品には読むコツのようなものがあって、『悲劇の誕生』や『善悪の彼岸』などは普通に読めばいいのですが、その他の(力への意志は除く)作品のアフォリズムの部分は適当に読み飛ばしていいと思います。

 というのも、ハイデガーはそういう奇怪な文体の部分まで読むのですが、ニーチェを普通に読もうとする人には邪魔になるからです。分からなくて当然ですし、分からない部分は後回しにして先へ進むのが良いと思います。

 『ツァラトゥストラ』をどう読むかというのは永遠のテーマになるかもしれませんが、私はハイデガーと違ってあまりこの作品に重要性を感じません。ニーチェ自身もこの作品は柱廊であって本堂は『力への意志』だと述べてますし、ならば最初から『力への意志』へ行った方が早いと思います。問題は『力への意志』がニーチェ自身によって編纂されていないということです。この問題はハイデガーも執拗に編纂過程について述べています。

 哲学書というと、慣れてない人は臆病になりますが、一回噛み付いたら慣れるものです。もはや哲学という言葉は抹消された世の中ですが、物事を整理する能力には寄与すると思います。