ベルクソン『時間と自由』 | Roscellinus Compendiensis

ベルクソン『時間と自由』

時間と自由 (岩波文庫)/岩波書店

¥907
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 本書は『意識に直接与えられたものについての試論』の英訳版。原典は原典の良さがありますが、この英訳版の方に重きを置くのが通例ですので、取り上げたいのはこちら。

 事前知識なしで読めるというのがベルクソンの良いところだと思っていますが、本書もそれほど専門知識を求めていません。むしろ、初めて読書するというくらいで調度いいと思います。

 結論から言えばカント批判なわけですが、これはデカルト批判と言っても良いかと思います。要するにデカルトは言うまでもなく、カントでさえ空間を重要視するからです。なぜ重要視されるかと言えば、その対象となるもの、イベントを空間に放り込んでしまえば点になり、流動性のないものになるから理論上空間座標の把握は重要となるのです。

 しかし、このような数学的な点の集合とする発想をベルクソンは拒否します。人間の生として直接意識されるのは空間の点の拡がりではなく、決して空間には存在しない一連の流れなのです。そしてこのような流れとして常に変化している様態を「純粋持続」と呼びます。

 そして、「純粋持続」を可能とするのが時間という基礎なのです。空間では把握できないということです。ベルクソンも述べていますが、空間が優位にあるのは、単に時間というもうひとつの大きな基礎を長らく忘れてきたからです。奇しくもベルクソンが戻るアリストテレスの時間論にハイデガーも挑戦しています。二人の時間論には差があるのは当然ですが、ベルクソンもまた哲学史家としては、ハイデガーに負けず劣らずの人物であろうと思います。

 まとめると、ベルクソンは空間重視の哲学史を批判し、「純粋持続」と時間を掘り出し、空間認識の絶対性を退け、瞬間を生きている人間、あるいはその流れに自由を認めた(「純粋持続)。

 こう簡略化してみると、改めてニーチェとの関係やハイデガーとの違いという大変大きな仕事が手付かずのまま残されたままであると思います。