デリダな人 | Roscellinus Compendiensis

デリダな人

 実はデリダな人は苦手です。お前が一番のデリダ好きではないかと言われそうですが、ここで断っておきたいのはデリダの言葉には警戒してきました。今、もうこの世にはいないデリダにはさらに警戒しています。

 なにを警戒しているのか。デリダの言うように考え、行動する、つまりデリダをトレースすることが危険だからです。それは不必要な争いに発展し、結果的に自分もただではすまない。
 
 脱構築とはデリダの暴力に対する非常装置なわけですが、それは思想上の核兵器なのですから脱構築を発動すれば自分も脱構築されることになれます。こんな簡単なことに普通なら気付くわけですが、世の中の人はデリダの残した遺産(負の遺産でもある)を振り回してそこらじゅうで脱構築しています。

 私としてはこのようなデリダな人に脱構築されないために逃げるしかありません。デリダレーダーなんかが発明されれば幾ばくか楽になるのですが、そんな冗談も通じないのがデリダな人なのです。

 ハイデガーを研究してたら、物凄い男前の先生が考えもしなかった解釈を提供してくれた。それがデリダ本人です。若さゆえの過ちだったのか、研究本体のハイデガーを放ってデリダのテクストを読み耽りました。全てが新しく、それであって芯のある文章。必死に読みました。そして、気付いたときにはデリダな人になっていました。

 本当に多くの人にデリダな人になってから迷惑もかけました。デリダ本人が書き残していることですが、デリダのテクストはデリダの死をもってから勢力を増し、そのテクストの筆者は幽霊となって常に不安に陥れる。

 これはまずいですね。私は幽霊に怯え、浮遊する(根をもたない)テクストに不安感を覚えました。デリダな人を止めるために色々試してみましたが、ドゥルーズなんかではとてもデリダな人から抜け出せないのです。

 そして、最終的に私がデリダな人を抜け出せたのは、デリダな人同士で戦い合うのではなく、またデリダな人ではない人に助けてもらうことでもなく、沈黙することでした。もうデリダな人を卒業するには黙るしかなかったのです。

 デリダな人とデリダは無関係です。この命題の意味を理解するのは簡単ではありませんが、幽霊としてのデリダとデリダな人は近しい関係かもしれません。