ノンポリ不可避 | Roscellinus Compendiensis

ノンポリ不可避

 私は政治というものが頗る嫌いです。デカルトの言うように理性を正しく活用しても、汚れた言葉の押収。瑣末な議論に収斂されているように思います。

 結果的に理性の最高のステージがこの程度なのですから問題でしょう。実はこれは暴力の場であり、原暴力の再現の場だと捉えています。「平和」や「博愛」、「平等」をか掲げるまでは理解できても、実際は利益代弁者同士の小汚い罵声しか聞こえてきません。

 政治が利益代弁者によって誘導されてゆくなら、もはや「平等」の理念は崩れます。保守政党にしろ革新政党、進歩政党にせよ彼らに何かを託すことなどできません。古臭い保守主義を唱える人も、全てをひっくり返そうとする人も結局ポジションが入れ替わりチーム名が変更されるだけのことです。自民党が与党である限りは保守政党ですが、野党になったときは大凡保守主義を貫いたとは言えません。つまりデリダの脱構築がここで参考になるわけですが、自民党も民主党以下野党も政権の座に鎮座するや否や保守政党になり、野党に下野したら革新、進歩主義政党になるということです。

 ですから私はここに至って、保守だ革新、進歩だというのは言葉遊びに過ぎず、全く政治そのものに影響があるとは思えないと思うのです。こんな稚拙なTOPICSをマスコミはピックアップして大仰に伝えるのですが、私にとっては暖簾に腕押しです。全く興味がありません。

 政治の場で与野党再編などが取り沙汰されていますが、それだけこの国はジレンマを抱えている証拠です。政治の場に出てくるいかなる政党を選択しても市民には不利益が生じるのは見えていますから。逆に言えばマルチ・パーティー・システムは、ジレンマを前提にしているのですから(ワイマール体制)、このような不安定、不利益をこの国の民主主義は含むのだという覚悟が必要でしょう。ニュースを見るより覚悟を決める方が先です。だから、私はどのような否定的な意味に捉えられようと「ノンポリ」だと述べているわけです。

 私にとって唯一の政治的要素を含むTOPICSは、ハイデガーとナチスと言っておきましょう。これは20世紀が積み残した最大のジレンマですが、それだけに面白いし、人が人生を賭けるに値すると思います。