西洋哲学史 | Roscellinus Compendiensis

西洋哲学史

 大きなテーマを掲げましたが、年代順に進歩的に進んできた哲学などありません。ドゥルーズがイメージするように、哲学は整然と整理された大木を形成はしてないでしょう。
 
 なので、私はある時から哲学史と題する著作物は敬遠しています。
 
 もちろん大学の学部程度であれば、一応の物差しにはなると思うので、需要がないとは思いませんが、私は「哲学史」という教条化された著作物には勝負をしません。
 
 というのも、「哲学史」がタイトルになっている著作物のほとんどが中途半端、主張が分からない、時代が分断されて何が潮流なのか分からないものばかりだからです。もちろん、木田元さんのように「哲学史」を解体するんだという意志から敢えて「反哲学史」というタイトルをつけておられる方の主張は傾聴に値します。それにしても、哲学へのアンチテーゼであるだけでは不完全だと思います。それはニーチェやハイデガーの落ちた同じあの形而上学の…。
 
 ただ、もはや哲学などないこの文明社会で、敢えて古臭いヘーゲルのような哲学史は何の役にも立たないと思います。
 
 特に日本のアカデミズムでは、ベンヤミンの言葉を借りれば、哲学のアウラの維持に必死で新しく生まれる哲学以後の潮流を消去するのに躍起です。
 新しきものを受容する「ムード」の方が、何より大切だと思います。