宮部みゆき『火車』 | Roscellinus Compendiensis

宮部みゆき『火車』

 改めてましてみなさんよろしくお願いします。

これまで外国に駐留する訳でもなく、歴史に名を刻むこともなく読書に励んで参りました。もちろん、ただ字面を注視してたわけではありません。私なりに現状を打開せんとの思いからです。
 
 過去記事は登用、改ざんされることが酷かったので隠していましたが、この度削除しました。これは私の中である「意志」が働いたからです。過去は過ぎ去ったもの。誰の手にも届きません。五月革命のように一からの出発です。
 
 できるだけこのブログを覗いてくれる方の羅針盤となるべく、読書後のイントロダクションを書いていきたいと思っています。

火車 (新潮文庫)/新潮社

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 最初に取り上げるのは、宮部みゆきの大作「火車」です。世間に普通に存在するクレサラの被害?実害を描くとともに、人間が己を生かすために他者を葬り、他者になりすますというおそらく現実に起こり得ることを上手く小説としてまとめ上げています。
 
 宮部作品では次に続く最高傑作「理由」の原点的位置づけと言えるでしょう。難しいことはできるだけ避けるとして、本書は宮部作品のフォロワーでなくともすんなり入ることができます。
 
 宮部みゆきという稀有の作家の特徴は、リズム感と場面の切り替えの早さ、文章の続短断長です。ですから、この大作も二日もあれば誰でも読めるでしょう。ドラマとしても放送されましたが、非常に原作に忠実に仕上がっていたと思います。ということは、逆に原作が映像作品なみに歯切れがいいということだろうと思います。実際、読後感は漱石の「我輩は猫である」クラスです。憎悪も、悲しみも何も残りません。ただ、最終場面に至る薄い記憶が残るはずです。
 
 私は本作を5、6回読み直していますが、全く飽きません。読むたびに宮部みゆきという作家のレベルの高さを痛感しています。
 
 こういう現代社会にメスを入れるような作品は飽和状態ですが、「火車」のような読後感をもたらす作品はないといって良いでしょう。宮部作品全てに共通していることですが、とにかく読後感の気分の良さは特筆ものです。
 
 なかでも「火車」は、高質度の内容からいえば高評価を受けて当然だと思います。読後感の良さという抽象的な表現をしましたが、おそらくほとんどの人が分厚い大作を読み終えて満足しているのではないでしょうか?それはおそらく、宮部流の培われたテクニックと筆力に魅了されているのだと思います。